燕・歳時記 Special

燕山荘通信

冬季燕岳登頂ツアー第2回・3回催行しました


12月27日~29日、12月31日~1月2日、2回目3回目となる燕山荘冬季燕岳登頂ツアーを催行しました。いずれの回も、晴天の中、燕岳山頂を踏むことができました。12年目となる元旦の燕岳山頂への鰤奉納も、滞りなく執り行うことができました。
「こんな景色をみることができ、最高です!」
「厳冬期の北アルプスで、こんな穏やかな大晦日元旦を過ごせるとは夢にも思わなかった」

燕岳山頂直下 メガネ岩前

2017年元旦 鰤の奉納 燕岳山頂

雲海と合戦尾根

燕山荘より 雪庇と槍・穂高連峰方面

【第2回ツアー】

合戦小屋直下から大天井岳

2回目のツアーにおいては初日、登山口から富士見ベンチ直下まで雨、その上がみぞれから雪というコンディションであったため、その日の上山は見合わせました。12月27日の雨天をやり過ごした後の翌28日、雲海を抜けたその上部は、見事なまでの樹氷と雪稜と青空のコントラストでした。

合戦小屋上部

合戦小屋上部

雪煙舞う中、燕岳と燕山荘

燕山荘直下より 鹿島槍ヶ岳方面遠望

燕岳山頂にて

「雨の中無理せず登らなくて正解、一日ずらしたおかげで、こんな景色をみることができ、最高です!何度もこのツアーに参加させて頂いていますが、これほどまでの晴天は初めて。何も言うことありません!」
キャンセル等により、この回の参加者は1名様のみでしたが、燕山荘ツアーは1名様でも必ず催行します。

【第3回ツアー】

大晦日の上山となる3回目は、3日間とも概ね晴天に恵まれ、新年1月1日は晴天の中、ツアーの皆さんと共に燕岳山頂へ鰤の奉納が叶いました。
合戦尾根上部からは、遠く富士山をはじめ、八ヶ岳連峰に南アルプスが一望。文句なしの晴天下での上山です。

燕山荘直下

無事に燕山荘到着 玄関前にて

到着後まもなく、いざ燕岳山頂へ

まもなく山頂、気分は上々!

大晦日の燕岳登頂

3回目ツアー参加者のみなさん

「著名なガイドの方々のサポートがあって、とても安心して参加でき、登ることができ、感謝、感謝!けど、厳冬期の中、こんな晴天下で登れることは、めったにないのだという事もお聞きでき、勉強になりました」
「鰤街道の文化に触れることができたのはよかった」

2回目3回目とご参加頂きました皆様、ありがとうございました。
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【ガイド】 赤沼敏治、井村克彦、大蔵喜福氏、中島政男氏
2回目のガイドは、燕山荘グループ統括責任者井村克彦、3回目のガイドは加えて燕山荘グループ天渓代表 赤沼敏治、登山家 大蔵喜福氏、国際山岳ガイド 中島政男氏の4名にて引率しました。
大蔵氏は、エベレストをはじめ、8000M峰を4座登頂、山岳気象観測にてマッキンリー25回登頂など、数々の高所登山を経験。中島氏は、(社)日本山岳ガイド協会認定国際山岳ガイドで夏はシャモニに滞在、冬は日本で雪山講習会のガイド等を務められています。

写真:赤沼健至 井村克彦
文:榊 寛昭

【厳冬期の登山について】
厳冬期において、登山口が雨、稜線付近が雪という状況下での登山は、低体温症のリスクが極めて高くなります。雨で濡れた体や衣類の状態では体力が消耗し、そのまま途中着替え等せず風雪にさらされると、一気に体温は奪われ、低体温となります。
そういったリスクを防ぐには、あらゆる気象情報等を収集した上で、ご自身の技量にあう天候の見極めが重要になります。それらをクリアすれば、荘厳な冬の北アルプスを目にすることができます。

【鰤を燕岳山頂に奉納】について
昔から、松本や安曇野の年取り魚はブリ。
冷蔵・冷凍技術が未発達の頃、富山湾でとれた寒ブリを塩漬けにして、人が歩いて山国の飛騨まで運び(歩荷)、さらには野麦峠を越えて信州松本まで至りました。富山市から岐阜県高山市を経て、信州松本までの区間、これがいわゆる鰤街道と呼ばれています。こうして運ばれたブリを、飛騨では塩鰤、越中鰤と呼び、野麦峠を越えて松本まで運ばれ、そこでは飛騨鰤と呼ばれていたそうです。

その鰤街道を燕岳までつなげようと、信濃毎日新聞松本平タウン情報 丸山祥司氏のご協力をいただいて、鰤街道が燕岳頂上まで伸び、今年で12年(12回目)、一つの区切りとなります。今年も高山で求めた塩鰤を燕岳登山口から背負って登りました。今年はツアーの皆様に同行していただき、賑やかな奉納となりました。

【燕山荘冬期燕岳登頂ツアーご案内】
燕山荘冬期登頂ツアー第5回(最終回)は、1月7日~9日です。

株式会社燕山荘 松本事務所

〒390-0874 長野県松本市大手2-3-10

0263-32-1535 0263-32-0898

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