◆燕山荘通信・ゆく年くる年①◆
H24.1.3 更新

お天気に恵まれて、大晦日は越年登山のお客様で賑わいました。
笑顔でゆく年を楽しく過ごしていただけました。

【ゆく年 2011年大晦日の様子】




日の入り


年越し蕎麦とホルン演奏

2011年の締めくくりは振る舞い酒で乾杯


「楽しい、楽しい、ホントに楽しい大晦日です。」
大晦日の夜は、夕食後、年越しそばや振る舞い酒のサービスをさせていただきました。常連のお客様や初めてのお客様も皆さん、すぐ仲良く打ち解けてしまいます。この日は、お部屋は9時消灯ですが、食堂は特別12時過ぎまで明かりを灯したまま過ごして頂きました。


【冬期営業スタッフと有難い助っ人の皆さん】
「-20℃の厳冬期の山小屋を営業するには、スタッフの努力なしには実現しません。今年も山の大好きな現役スタッフやOBが今まで蓄積したノウハウを受け継ぎ、皆様に楽しい時間を過ごしていただけるように工夫して参りました。」オーナー赤沼よりスタッフ紹介をさせていただきました。



〈燕岳頂上に年取り魚の鰤を奉納〉
昔から松本や安曇野の年取り魚(大晦日の晩から正月三が日にかけて食べる縁起物の魚)は鰤(ブリ)である。昔、富山湾でとれた鰤は馬や牛の背で四日がかりで飛騨高山へ、高山からは雪深い野麦峠を人が命懸けで歩荷(ぼっか)して100㎞の道のりを1週間かけて松本まで運んだ。一度に5~6尾、重さは50~60㎏の鰤を運んだとのこと。富山湾でとれた鰤は、富山では米一斗(15㎏)の値が、松本では米四斗(60㎏)となり、なんと富山で水揚げされた時の4倍の値段に。そのため、当時は高価な鰤を買えるのは限られた人だけで、松本で一般的に食べられるようになったのは戦後になってからのようだ。
(鰤街道につきましては、平成18年1月3日(火)日本経済新聞文化面に掲載されました東京学芸大学名誉教授市川健夫様の記事を参考にさせていただきました。)
その鰤が運ばれた、越中富山から飛騨、飛騨から信州松本までの道が鰤街道といわれる。その鰤街道を燕岳までつなげようと、高山で買い求めた汐鰤約8キロを背負って登り奉納。信濃毎日新聞松本平タウン情報 丸山祥司さんのご協力をいただいて7年前から鰤街道が燕岳頂上まで伸びています。




写真: 井村、榊、河地、佐藤、江口、林、岩橋宏倫氏
リポート:林 正美

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